これが日本という感覚の部分集合なのか

初投稿です。

ひとまず今月見たものをあげていきます。

建築関連が多かったです。

建築をその町の文脈に沿わせると謳っているフォスターに対して

フランクゲーリーは、既存の建物の99%はゴミである、みたいな言い方をしていて、ここまで対極に行くものかと思いましたね。

 

それと泉鏡花が好きな友達に連れてかれたバーで、室生犀星萩原朔太郎をもっと読み込んで、体で感じ取って欲しい、みたいに言われたので、もう一度なめ直すように読んでみました。

今だから思えるのですが、文字列も、絵画も、映画も、音声も。通ずる感覚ってありますよね。

 

例えば泉鏡花の「外科室」という小説があるのですが、これなんか、まさに、川端龍子のこの愛染という作品に似ている

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(画像データ from 足立美術館よりお借りしてきてます)

 

なんなら、山家集でいうところの、

花に染む 心のいかで 残りけん 捨て果ててきと 思ふわが身に

という歌にも似ている。

というかこの微妙な感覚というのはなんだろう。それが日本人ということなのか。